SUPER EIGHTとして人気を集める横山裕さん。
明るいキャラクターからは想像できませんが、その生い立ちはかなり壮絶だったようです。
幼い頃に両親が離婚し、複雑な家庭環境の中で育った横山さん。
中学生の頃には家計を支えるためにアルバイトをし、まるで一家の大黒柱のように生きていました。
今回は、そんな横山裕さんの幼少期から10代にかけての生い立ちをまとめました。
横山裕の生い立ちが壮絶過ぎる

SUPER EIGHTのメンバーとして現在は歌手活動やバラエティで引っ張りだこの横山裕さん。
大阪府此花区の出身で、本名は横山侯隆(よこやまきみたか)さんです。
横山裕さんは家庭環境に恵まれず、幼い頃から厳しい現実に直面してたようです。
しかしそんな中でもたくましく生き、現在があるようですね。
幼少期から順番に見ていきましょう。
横山裕の生い立ち 幼少期~小学校

横山裕さんの幼少期から小学校までの生い立ちです。
3歳で両親が離婚し、母親に引き取られる
横山さんは3歳の時に両親が離婚したそうです。
母親に引き取られたものの、祖父母の家で過ごす時間も多かったそうです。
幼いながらに寂しさを抱えながら成長したのでしょう。
5歳で母親が再婚し、義理父と確執
母親は横山さんが5歳の時に再婚しました。
再婚後は父親違いの弟が2人が生まれ、義理父と母、弟2人と5畳の部屋に住んでいたそうです。

また義理の父との関係は良好ではなく、家庭での居場所を感じられないこともあったようです。
義理父は実の息子である弟2人には優しかったそうですが、血の繋がりのない横山裕さんには手を上げたりすることもあったとのことです。
この頃も祖父母に預けられることも少なくなかったと伝えられています。
中学進学後も横山裕さんの苦労は続きます。
横山裕の生い立ち 中学時代

中学入学後はバイトや部活で多忙を極めていたそうです。
中学時代はバイトを掛け持ち
中学に進学すると、横山さんは家計を助けるために働き始めます。
部活をしながらうどん屋などでアルバイトを掛け持ちし、同級生が遊んでいる時間も働き続けました。
部活はバスケ部だったそうですが、大阪選抜に選ばれるほどの腕前を持っていたそうです。

そして中学時代に運命を大きく変える出来事が待っています。
母親が勝手にジャニーズ事務所に履歴書を送付
横山裕さんは中3に時に友人と『自分たちもジャニーズに入れるのでは?』と話し履歴書を書いたそうですが、宛先がわからず断念したそうです。
しかし母親がその履歴書をジャニーズ事務所に勝手に送り、オーディションを受けることになったとのことです。
オーディションには遅刻し落ちかけたようですが、トイレで偶然ジャニー喜多川社長と会ったことで合格が決まったそうです。
横山裕の生い立ち 中学卒業以降

横山裕さんは中学卒業後は家計を助けるため進学せずに就職したそうです。
中学卒業後は建設会社に勤務しながらジャニーズJrとして活動
中学を卒業した横山さんは建設会社に就職します。
肉体労働で日々働きながら、夜はジャニーズJr.としてステージに立ち続けました。
ニッカポッカで撮影現場に行き、怒られた事もあったそうです。
こうして弟2人の学費も稼ぎ、弟を学校に通わせたそうです。
生活は過酷でしたが、夢を追いかける強い意志も持っていたようですね!

2002年関ジャニ∞結成
努力を続けた結果、2002年に関ジャニ∞(現SUPER EIGHT)が結成されます。
下積みを経て、ようやく大きなチャンスを掴んだ瞬間でした。
壮絶な生い立ちを乗り越えて、アイドルとしての道を歩み始めたのです。
アイドルとして成功したため、弟の大学に進学する費用も払えたと語っています。






まとめ
横山裕さんは幼い頃から複雑な家庭環境の中で育ち、早くから責任を背負って生きてきました。
中学時代には家計を支えるために働きながら部活でも活躍し、やがて母親が送った履歴書をきっかけに芸能界へと進みました。
建設会社での仕事とジャニーズJr.の活動を両立させ、弟たちの学費まで稼ぎながら努力を重ねた横山さん。
その強い意志と努力が実を結び、関ジャニ∞結成を経て今の活躍につながっています。
壮絶な生い立ちを乗り越えて築いた現在の姿は、多くの人に勇気を与えているのではないでしょうか。
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